すべての新聞は「偏って」いる、を読んだ。

毎日の日課にsession22をあげている私は荻上チキが好きである。そもそも評論家に詳しくないため荻上チキが一番好きな評論家であるという立場から本著の感想を述べる。

荻上氏の特徴は、ネット時代における政治的な言論や主張をうまくすくい上げることだと考えいる。 本著でもネット上で発生する「ノイジーマイノリティ」に対して、

あるいは誰もが関わりたくない、面倒だと放置した結果、暴力的な言説が育ってしまったということでもあるだろう。

のように危険視している。 この氏の特徴は、セッションのオープニングトークからよくわかる。 本著もたぶんにもれずネットスラングをうまく使いながら、またそれ自身も批評の対象とすることに成功している。

また、本著はSPAで氏の連載をまとめたものであるため、扶桑社からの出版となっている。本著でも紹介されているように産経新聞からは批判されることも多い氏がが同じフジサンケイグループの扶桑社からの出版であること、また同新聞のスタンスを批判している内容であることの二点において扶桑社の言論メディアとして気概をみる。

ネットでよく使われている単語をネット特徴語と呼ぶことにすると本著は、「マスゴミ」、「ブーメラン」、「朝日的なもの」、「スシ友」などがあった。もちろん、全てが拾いきれているわけではない。

荻上チキ氏が立ち上げたメディアである「シノドス」はアカデミックジャーナリズムを掲げている。ということはシノドスの編集長(2018年3月で退任)である(った)氏はアカデミックジャーナリズムでなければいけない。しかし、本著はアカデミックジャーナリズムと呼べるものではなくとても残念である。アカデミックジャーナリズムとは「専門知」をいかに世間に説明していくことであるか、またそれに伴うコミュニケーション力であるかのように思える。

さて本著は、新聞データベースを用いて統計結果を発表しているが、このデータベースが氏が独自に作成したものなのか、それとも一般公開されているものなのかについての言及がない。 本著の最終章は既存メディアに対する提言をするのだが、ポジだし12で

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とポジ出し(氏の造語。ダメ出しの反対。)しているが、本著ではこれがない。しかも、社会学の知見が多数引用されるがそれが「誰が」「どの論文・本で」「いつ」提案されたのかという論文引用が全くなされていない。というか、引用のページは1ページもなく、どこがアカデミックジャーナリズムなのか全くわからなかった。

また氏は、中立性は存在できず、偏りが生まれてしまうことを数々のデータから明らかにしていく。しかし、「中立性」を目指すことと「中立性」でなくなってしまうことは別の問題である。メディアの役割として透明であることを求めるつもりはないが、唯一客観できるデータの解説は透明でなければいけない。 本著Chapter4で権力とメディアの距離感について氏は

こうしてみると、第二次安倍内閣はメディア露出が多いことがわかる。特に2015年までのカウントだけであれば、歴代の中でも群を抜いていた

と綴る。こうしてみるとが指すものは氏が首相動静からメディアへの出演回数とメディア関係者との会食回数を表にまとめたものである。両方とも首相の在籍期間日数で割ったものをそれぞれメディア露出回数、メディア懇談指数する。もちろん、在籍日数が違うために単純な比較はできないが「安倍内閣は歴代の中でも群を抜いている」というのはデータからは表現として正しいとはいえないものになっている。メディア露出回数では野田首相が0.016上回っているし、メディア懇談指数に至っては海部首相とは0.073ほど差がついている。これが、安倍内閣が群を抜いていることの証拠にはならなさそうだ。

と全般本著で気になった点を書いてみた。 全般的に勉強になる箇所は多かったが論文からの引用やデータに関する言及と開示が少なかったように思える。(もちろん、SPAという週刊誌での連載を書き直したという点もあるだろう。しかも、大学教授が共同調査に入っているものも多い。彼らは名前を出すことに対する責任はどうするつもりなのだろうが。)その点についてはとても残念であった。

その他

これ読んだ本を全て記録に残しているわけではないけれど、月に二冊であっても大変な作業であることがわかった。

後、これを書くのも結局2時間ぐらい使っている。